東京行きの新幹線の中で、駅売店で買ったWEDGEを読む。
その中に「上に立つ人の本気が人を限界に挑ませる」という記事があった。これはシンクロナイズドスイミングの日本代表コーチを務めた井村雅代さんのインタビューである。
井村さん語録は以下のようなものである。
「自分はよくやっている、もう精一杯だと、自分で自分の限界を決めている人がものすごく多いですね。」
「自分はよくやっていると思っている子を、もっと頑張らせようとしたら、言葉に力がなければダメですよ。遠まわしではなく「できないはずはない。だからやろうとしなさい」ってずばり言う。」
「どうなりたいかっていうゴールを、その子に持たせてあげる。それはオリンピックという大きなゴールだけじゃなくて、例えば25メートルを何かきで泳げるようになろうというような、日々の具体的な目標です。」
「シンクロの中でもスピンは難しい技ですが、難しいなんていわないで、ハードルを小刻みに設定してあげて「さあいってみよう」とコーチの勢いでやらせてしまう。」
「1ミリでいいから進歩して帰れ。来たときと同じ状態で帰ってしまったらダメ。」
「今は、子供が壁にぶつかって苦しいときに、子ともの意思の尊重とか自己決定とか言って大人が逃げる。違うでしょう。苦しい時だから一緒にいなきゃ。人生経験ある大人が、子供を壁に正面からぶつからせて乗り越せさせないのは、責任回避に他ならない。」
いずれも含蓄のある言葉ばかりである。
最近、コーチング理論が全盛である。答えは部下の中にあるという考えをベースに、リードするのではなく支援するのが上司の役目である、というスタンスが少しずつ日本企業の中にも広がってきているように感じる。
しかしながら、私は上司のコミュニケーションはコーチングだけでは足りないと考えている。そこに足りないものは「ビジョンを示し、そのビジョンに向けて部下を引っ張っていく力」、すなわち”リードする力”である。
今回の井村さんのコーチ理論は世に言うコーチングとは対極にある考え方である。自分はこれでOK、と思っている選手を井村さんは「あなたのあるべき姿はこれなんだからもっとがんばれ」と言って叱咤激励していく。
このようなリードするコミュニケーションがあるからこそ、そのフォローとしてのコーチングスキルが役立つのである。私もその両面を持ったマネジメントスタイルを意識していきたい。