最近の世界各国のフェイスブックやツイッターを活用した民衆発の変革を見るにつけ、マネジメントやリーダーシップの在り方を今の時代に合わせていく必要性を感じています。間違いなく言えるのはトップダウン型リーダーというのは政治の世界でもビジネスの世界でも前時代的なスタイルとなってしまうであろうということです。
では、全てを民衆や社員が決める世界になっていくかというと、まだ時期尚早でしょう。そのためには、国家ならば一人ひとりの国民が独立自尊の状態となっていないと無理でしょうし、会社ならば、一人ひとりの社員がプロフェッショナルやエキスパートとして高い専門性とリーダーシップを持つ状態を作らなければならないはずです。
ただ、世界は変わり続け、徐々に一人の強いリーダーが存在せずともうまく回る組織というのが生まれていくのではないかと思います。有名なところではオルフェウス室内管弦楽団があります。オルフェウスには指揮者がいません。それでも、素晴らしい音楽を奏でることができます。
しかし、そこまでの成熟を実現することは、組織の規模が大きくなっていけばいくほど、難易度が高いはずです。全ての国民が独立自尊で存在できる、全ての社員がプロフェッショナルやエキスパートとして高い専門性とリーダーシップを持つ。それは理想郷かもしれません。
では何が必要なのか。烏合の衆にならないためにはやはりリーダーの存在というのは非常に重要です。でも、残念ながら、前時代的なスタイルではまずいはず。。。ではどのようなリーダーシップが必要なのでしょうか。
大切なことは、リーダーが自分が全て正しいと思うような独善の意識を持たずに謙虚さを持ち続けることです。そして、リーダーは組織構成員の声に耳を傾け続けることをしなければなりません。特に環境変化が激しい今日、現実の変化を捉えるためにも、また、現場で活動する人々の人心に触れるという意味でもできるだけ多くの人の声に触れる必要があるでしょう。それができるリーダーは民衆や社員から「共感」と「信頼」を得ることができるはずです。
ただし、難しいのは、その「共感」や「信頼」は優れたリーダーと言われる十分条件ではなく必要条件であるということです。優れたリーダーとなるためには、その「共感」や「信頼」をベースにしながらも、「高い見識」から明日を構想し、今の状況の変革を行うことができなければなりません。環境が変わることが当たり前の今、変革を継続することができない組織は弱体化してしまいます。
しかしながら、多くの個人は変革を躊躇し、リーダーへの「共感」や「信頼」があったとしても、今の状況の変革を行うことに対しては批判的な声は多く集まるでしょう。それでも、それを乗り越えていくことが今必要であるということを「高い見識」から構想し、それを伝え説得していくことが必要です。
つまり、「共感」、「信頼」、そして、「高い見識」があって初めて優れたリーダーとしての十分条件がそろうはずです。
不透明な時代、混迷の時代の中で、このようなリーダーがいかに増えるかが、組織の力になるでしょうし、国力になるのだと思います。