金曜日の出来事だった。名古屋での仕事を終え、18:20発の新幹線に乗るために改札を通った。10分前だったので飲み物を買うために待合室に向かった。
自動ドアを抜けて、正面の売店に向かって歩いていくと、右手の壁側にどこかで見たことのある男性を発見した。「どこかで見たことがあるなぁ、誰だろう?」とその男性の顔を見下ろしながら通り過ぎた。そして、次の瞬間、「あっ!張社長じゃないか!」と電撃が走った。
張社長と言えば、日本の中で最大の利益をたたき出しているトヨタ自動車の社長である。何もなかったように売店まで行き、振り返り、自分の記憶を辿ると確信までいかないが「張社長に間違いないだろう」と思った。
そうなると次はどうやって声をかけるかだ。真っ白になった頭をもう一度フル回転させて、どのシチュエーションでどのように声をかけるかをシュミレーションした。すると、張社長が座っていた席の隣が空くではないか!早速その席に向かい、座った。そして、呼吸を整えて、左に座っている張社長に向かって声をかけようとした。
その瞬間、張社長はちょうど正面に座っていた女性に声をかける。「ビールでも買いにいくか。」 どうやら、奥様のようである。そして、その直後に立ち上がり奥様とホームに向かって歩き出してしまった。タイミングを逸したが、それでもあきらめられない。お二人の後をつけるようにホームに上がった。どうやら、お二人も同じ18:20発ののぞみ東京行きに乗るようで、チャンスはまだある!と自分を勇気付けた。
新幹線が入ってきて、お二人はグリーン車に乗車した。もちろん、僕は普通車である。でもあきらめられないので、自席の上の棚に荷物を置いて、グリーン車脇の連結部分に向かった。
ビールを飲むなら、トイレにも行くだろう。そう思ったのだ。そして、トイレの脇に陣取ってグリーン車の様子を伺おうとした。すると、後ろに人の気配を感じた。どうやらトイレから誰かが出てきたようだ。道をあけるために、洗面所の中に体を入れて、気配の主の顔を見るとなんと張社長!そして、スッとグリーン車の中に消えていってしまった。
またもやタイミングを逃した僕は悔しさの中で「チャンスを2度も逸したがなんとかご挨拶をしたい」と思った。しかし、ただ、声をかけるのでもダメだ。「不快に思われないように声をか
け、自分たちがやっていることを伝え、名前を覚えてもらい、連絡先を聞く。」これが僕のやりたいことだ。そのため一度自席に戻って作戦を練ることとにした。冷静に考えると、電車の席で声をかけるのはあまりにも失礼のように思った。お忙しい方だろうから、電車の中ではリラックスしたいはず。
そして、電車を降りた後のチャンスを探そうと考えた。きっと、張社長ともなれば、最寄の駅まで車が迎えに来ているはず。「その車に乗る瞬間がチャンスじゃないか。」そう考えた。
では、どこで降りるのか。のぞみの停車駅は名古屋以降は新横浜か東京。どちらで降りるのか。いずれにしても、どちらでも対応できるようにしなければならない。僕の切符は新横浜までだった。
新幹線が新横浜に近づき、後10分程度になったときに僕は動き出した。そして、張社長の動きを探ると、結局、張社長は動かれることはなく、僕はすぐに車掌に声をかけ東京駅までの延長分を清算した。東京駅までの15分間はなんと声をかけるかを考え続けた。荷物の中を確認するとグロービスのパンフはすべて名古屋で使い尽くしていまい、一部もない。武器となるのは自分自身と名刺のみ。
新幹線がゆっくりと東京駅のホームに入っていき停車した。多くの乗客と同じく、張社長が降りていく。もちろん僕もその後ろから降りていった。そして、張社長と奥様の後ろを10mほどはなれてついていく。ここから電車に乗り換えるのか、それともすぐに降りてしまうのか、どんな行動があっても対応でするために、周囲をクルクル見回しながらついていく。
向かっているのはどうやら「丸の内口」のようだ。改札が近づくと改札の向こうの男性に声をかけた。そして、手荷物を渡す。 「おそらくドライバーの方だろう。間違いなく、ここから車に乗ってしまう。タクシーで追いかけるという選択肢もあるが、どこまでいくかわからない。チャンスは改札を抜けてから、車に乗るまでの数分間だ。」 そう思った。改札を出た張社長から遅れて5秒。僕も改札を抜けた。
そして、ついに声をかけた。
「すいません、張社長。1分間だけ時間をください。私はグロービスという会社の者です。」
張社長は突然声をかけられて驚いているようだ。そして、聞き返された。
張社長「なにをしている会社なんですか?」
「グロービスという会社でして、東京と大阪にてビジネススクールを展開しています。そして、このたび名古屋に10月からビジネススクールを開校しようとしております。
張社長をお見掛けして一度ご挨拶させていただきたいと思い、失礼ながら、声をかけさせていただきました。」
そういいながら、名刺を出す。すると反射的に張社長も胸に手を入れて名刺入れを出された。そして、名を名乗りながら名刺をお渡しする。 張社長は名刺を受け取ると、ご自分の名刺を探すが、ない。
張社長「名刺がさっき切れちゃってね。」
それで落ち込んでいられない。立て続けに、 「今後名古屋で様々なイベントを実施していきたいと考えております。その際にもし機会があれば、張社長にご参加いただければと思っております。」 と伝えた。
すると、張社長は少し考えて、
張社長「一度連絡をください。秘書に言っておきます。」
やった!と思いながら、
「ありがとうございます。必ず、連絡いたします。」
とお礼を伝えた。張社長は僕の名刺をシゲシゲと見ながら車に向かって歩き出した。
これまでで”一番短い”名古屋-東京間だった。