先日祖父が亡くなった。89歳の人生は大往生だったと言える。
祖父は戦前は飛行機乗りだった。戦時中は満州で戦闘機の操縦士や整備士として働いていたそうだ。戦時中には2度墜落をしながらも何とか生き残った。墜落による怪我で終戦直前に日本に帰国する機会を得て、帰国し、そのまま終戦を迎えた。
終戦後は様々な仕事で糧を得ていたそうだ。その中でも儲かったのが廃車を売ることだった。地方都市に行き廃車を仕入れ、東京で販売するとかなりの利益を得ることができたそうだ。その仕事を通じて、車に関わる仕事に携わっている人たちとの縁が生まれた。そして、終戦から数年経ってタイヤ販売に絞った会社を立ち上げる。
最初の事務所はミカン箱が机になっていたそうだ。看板も手書きで何もないところからのスタートだった。仕入先、お客様とも関係が深まっていき、徐々に事業を拡張することとなる。まずは本社ビルを充実させ、お客様のいらっしゃるところに営業所を出していく。拡張に伴い社員を集めようとするがなかなか集まらない。そこで、田舎の信州から高校を卒業した子を迎え入れる。その子たちは自宅に住まわせ、自宅が寮のようになっていたそうだ。(そのうち何人かが今の幹部となっている。)
仕入先からの信頼を得、ある外資系タイヤメーカーの代理店を務めるようになる。その後、東京では最も大きい代理店となるまでとなった。
私の記憶にある祖父は、すでにそのような会社を築き上げた祖父だった。明るく明朗快活だが厳格で、孫に対しても何か間違ったことをすると厳しく接する祖父だった。
葬儀の後の精進流しで昔をよく知る方と話をすると祖父の知られざるエピソードをたくさん聞くこととなる。その中でも印象的だったのが、タイヤメーカーにつとめていた方の話だった。
「井上さんは創業当時はタイヤを仕入れるために自転車でうちに来るんだよね。それでタイヤを4本自転車の荷台に縛り付けて持って帰っていくんだ。それを一日に数回やっていた。社長さんでそんなことをする人はいなかったから、すごいなぁ、頭が下がるなぁ、と思っていたよ。まあ30代の半ばごろだから、バイタリティもあったんだろうね。」
まさに「ベンチャー企業だ!」と感じた。前述した通り、私の知っている祖父の会社は既に完成した状態だった。だから、その会社がベンチャーのようにやっていたことをリアリティを持って感じることができていなかった。
しかし、このエピソードを聞き、祖父のベンチャー魂を強く実感することとなった。社長自ら率先垂範する。その過程で仕入先にも好感を持っていただく。結果としてビジネスに繋がっていく。そして、多くの仲間が集まってくる。
遺影を眺めながら、記憶の中の祖父の姿を思い出し、さらに祖父が30代で自転車で駆け回る姿を想像してみた。よいこともあり、大変なこともあったであろう。でも、きっと素晴らしい人生だったと思う。そんな祖父のような生き方をしてみたいと感じた。
合掌
こんばんわ。「ちびTotti」です。(GMS受講生だったりします 笑)。すばらしい人生ですね。私は祖父も親父も会ったことありませんが、娘に恥ずかしくない人生を送りたいと思ってます。目標に向かって がんばるぜぃ!!
投稿情報: ちびTotti | 2005-06-28 23:28