昨日の「永平寺への旅」のブログを読み返していて、昔読んだDHBRの記事を思い出したので共有したい。これは落語協会会長の桂歌丸さんによる「仕事は修行であり辛抱である」という文章である。永平寺は750年もの間、継続している。そして、歌丸師匠は50年続けている。だからこそ、歌丸師匠には味があり魅力があるのだ。
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「仕事は修行であり辛抱である」(2005年1月号)
どのような職業を選ぶのか、それは己の裁量です。ただし、どのような職業にしても、嫌なこと、苦しいことがつきまといます。世の中に楽な商売など、どこを探してもありません。
私が噺家を志したのは15歳のときでした。しかし、好きで選んだ道とはいえ「もう辞めてしまおう」と諦めかけたことは数え切れません。辛苦にめげることなく臥薪嘗胆するか、はたまた新天地を求めるのか、これもまた己の裁量です。
ですが、辛いから、思うようにいかないからといって、飛び出してしまえば、己の弱さに負けたことになるのではないでしょうか。そのつど「辛抱が肝心」と言い聞かせてきました。
どのような職業も、 得手となるまでには辛抱の連続でしょう。
私にも、迷いが生じたり、己の信念がぐらついたりすることが何度もありました。また、ようやく人様に認められたかなと思うと、つい修行がおろそかになったり、辛抱を忘れたり、易きについてしまうものなのです。しかし、これも己の弱さでしたありません。
噺家は、前座の約四年間が人間の修行、二つ目に進んで芸の修行が10年、そして、晴れて真打ちになって、ようやく一人前の仲間入りができます。
半人前の頃は、どこに進めばよいのか、皆目検討がつきません。ですから、余計不安になります。そのような時、私淑できる先達はありがたい存在でしょう。
私の師匠は五代目古今亭今輔でした。最初に教わったのは新作落語でしたが、しばらくすると「落語の土台は古典にある。今は上手にできなくても古典落語を修行しろ」と言いつかりました。当時は師匠が意図する真意など、まるでわかりませんでしたが、うまずたゆまずと言うとうそになりますが、とにかくこれに打ち込みました。
五十歳という遅きに至って、ようやく師匠の言うところに得心がいきました。そして。年五回の独演会を開くことがきっかけに、もう一度、古典落語の修業をやり直したのです。
だれかに倣い学び、型が身についてから、新たな修行が訪れます。それは、だれにも真似できないもの、自分だけのものを築き上げるための修行です。このためのレールをどのように敷くのか、これまた自己の裁量です。
皮肉なことに、修行を重ねれば重ねるほど、やらなければならないことがみえてくるものです。いま私は、己の芸をさらに磨くことのみならず、次代の落語家達に古典落語を引き継いでいくこと、また一人でも多くの落語ファンを増やすことに、心を傾けています。
「倒れて後やむ」という言葉がありますが、修行は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。
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落語協会の会長まで上り詰められた歌丸師匠が、修行を重ねれば重ねるほどやらなければならないことが見えてくる、ということをおっしゃることに物事の真実が隠されている。
仕事もやればやるほど、やるべきことが見え、自分の足りなさを感じていく。それを乗り越えるために仕事にのめり込んでいくと、ある瞬間光が見える。そして、その光に向かって走っていく。そして、その場にたどり着くと、視野が広がり、また、やるべきことが見えてくる。
この繰り返しが仕事というもの、人生というものなのだろう。