師と仰ぐ人物がいる。高橋甚之助さんである。高橋さんとの出会いは今から6年前の99年まで遡る。当時は高橋さんは某上場企業で新規事業開発室の室長という仕事をされていたと記憶している。高橋さんはハーバード・ビジネス・スクールを卒業され、前述の仕事をされる傍らグロービス大阪校の経営戦略の講師を長らく担当いただいていた。高橋さんとは講義の合間などでよく話をするようになった。そして、その生き方、哲学を少しずつお聞きすることができた。
高橋さんは「行動する哲学」ということをよく言われる。人は考えているだけ、思っているだけ、悩んでいるだけでは本当の意味では生きていない。行動することこそが生きていると言えるのだ、という考え方だ。これまでの長い会社生活のご経験から、行動を伴わないコミュニケーションがいかに組織や個人の魂を汚しているか、ということを強く感じてきたそうである。
20代の前半に高橋さんのような人物に出会えたことを大変感謝している。生きるとはどういうことか、特にビジネスを通じて”自らを生かす”とはどういうことか、強く考えさせられたからである。もし、高橋さんに出会っていなければ名古屋の仕事にめぐり合わなかったであろうし、今の自分もないと思っている。
その高橋さんにほぼ3年ぶりにお会いしてじっくりお話をする機会を得た。京都のグランビアホテルで待ち合わせをしていた。すると遠くから高橋さんの姿が見えると、第一声が「おー久しぶり。イキイキやっとるか?」というものだった。実に高橋さんらしい。その後、さまざまなテーマについて話し合った。教育、グロービス、ビジネス、生死、これからやりたいこと等、時間を忘れて話すことになった。
お話しすることで、何を小さなことで縮こまっているんだと反省するとともに、もっと自分を成長させたい、そして、もっと多くの経験を積んでいきたいと強く感じた。
高橋さんの 自殺、 本当、 不幸、 はもちろん 文字通り受け止めるべきではない。 当時 人生の大きな苦しさ 哀しさの渦中にあった私への教唆だった。 人の生と死、 幸と不幸、 喜と悲、 楽と苦、 真と偽、などはすべて より高次な永遠の普遍の目から俯瞰すれば 相対的なものであり 無である、という 般若心経にも通じる人生哲学であったと思う。 そののち 母の突然の死の後1~2ヶ月 無の観念を現実に体験した。 空しいという気持ちはネガティブな感情とは全く違う。 全ては無である、ということを悟った。 だが 日数がたつとたちまちにして 元に戻る。 今ここに 我欲にみちた自分はたしかに有る。 そうか、 行動する哲学か。 いきいきと生きているか。 いい言葉です。 心に留めておきたい。
投稿情報: 無有子 | 2005-08-05 17:50
井上さんは まだ若いんですね。 高橋さんは素晴らしい人で私も尊敬しています。 私は 7年前にお会いしました。 私より1歳年下ですが まるで先生のように人生哲学を話してくださいました。 その時は よく分からないままでしたが 今頃理解できることが多くあります。 でも 人生は深く 人の心はもっと混沌としていて捉えがたい。
今でもなお分からないことがある。
高橋さんのように もう持ちきれないほど恵まれた人は一体なにをしたいのでしょう。 私は聞きました。「何が一番したいですか?」 「自殺したい。 ほんとや。 不幸なんや」
今 なお 分からない。 人は不思議に満ちています。 そう答える高橋さんがとても魅力的だったことを申し添えておきましょう。
投稿情報: たねこ | 2005-08-04 00:20